05/06/2026
【Akhtala Monastery】🇦🇲
1. 10世紀後半:要塞としての始まり
もともとこの場所は、タシル=ゾラゲト王国(バグラトゥニ朝アルメニアの分家であるキュリケ朝)によって防御用の要塞として建設された。
2. 1188年:最初の聖母教会の記録
キュリケ朝の王女マリアムが、1188年にこの要塞の中に「聖母マリア教会(Surp Astvatsatsin)」を建てたという記録が、現場に残されたハチュカル(十字架石)の碑文に刻まれている。
3. 1200年代初頭(1205年〜1216年):現在の姿への大改築
[ザカリアン朝の統治] ジョージア王国のタマル女王に仕えた高官であり、アルメニア・ジョージア系の貴族であったイヴァネ・ザカリアン(Ivane Zakarian)がこの地を支配する。
[カルケドン派(正教会)への改宗と大改築]
イヴァネがジョージア正教(カルケドン派)に改宗したことで、この修道院はアルメニアにおけるカルケドン派正教の最大の中心地へと生まれ変わる。
現在の主聖堂とフレスコ画: 現在も残る堂々たる主聖堂の大部分がこの1200年代初頭に建て直され、1205年〜1216年にかけて聖堂内を埋め尽くすフレスコ画(壁画)が描かれた。イヴァネ自身も1227年にこの聖堂内に埋葬された。
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