天龍の屋臺行事

天龍の屋臺行事 静岡県浜松市天竜区の祭禮や観光情報等を主に映像で紹介するページ

秦の始皇帝何故かユダヤ人説がある🤣始皇帝の末裔という秦氏(秦皇帝家の姓は嬴、氏は趙だが、隣国の趙も同族の嬴姓趙氏=趙匡胤は戦国趙の子孫、のため、秦皇帝家の末裔は中国でも秦氏を名乗っている)もまた、ユダヤ人疑惑が語られる🤣然し‼  #日ユ同祖...
23/02/2024

秦の始皇帝
何故かユダヤ人説がある🤣

始皇帝の末裔という秦氏(秦皇帝家の姓は嬴、氏は趙だが、隣国の趙も同族の嬴姓趙氏=趙匡胤は戦国趙の子孫、のため、秦皇帝家の末裔は中国でも秦氏を名乗っている)もまた、ユダヤ人疑惑が語られる🤣

然し‼ #日ユ同祖論 はハザールユダヤが日本を乗っ取るために流したデマだ( 👊💢º⊿º )👊

始皇帝(嬴政、趙正)の実父は呂不韋という。
呂不韋にもユダヤ人疑惑がある🤣

呂不韋は斉の太公望呂尚と同族の姜姓呂氏であり、祖先は羌である。
羌は殷の時代から羊トーテムの遊牧民であった。
突然、中東に現れ、カナン人を支配して古代イスラエルを建国したという謎の遊牧民は羌だったかもしれないし、ユダヤ=羌=斉=出雲は関係が深い。

イスラエルは古代羌族の末裔という中国の少数民族羌(チャン)族を失われた十支族の子孫と認定した。

然し、寧ろ羌族が古代イスラエル支配層の祖先の可能性はあっても、
アッシリア捕囚(BC722)以降に消えたとされる十支族が、殷の時代から記録に残る羌族の祖先のはずはない。

姜斉の建国もBC1046である。

一説によればモーセはアマルナ革命の残党でイクナートンを信奉し、一神教のアテン信仰を基にユダヤ教の基礎を作り、モーセの一派はさらに東へ行き、
殷の武丁に宗教改革を行わせ、さらに日本へ渡り、
イクナートン崇拝は出雲族のクナト信仰となったという。

この説もハザールユダヤが広めた🤣ナラティブ臭いが、縄文晩期~弥生早期の話である。

🤔ユダヤ改宗フェニキア商人団が秦の時代に中国に来ていた可能性はある。

中国が西洋から秦(チーナ)と呼ばれるようになったのも、始皇帝以前に700年以上も秦が中国の最西端に位置し、西域と交易していたためであり、ソグド人と共にユダヤ改宗フェニキア商人団(ラダナイト)が早くから秦と繋がっていても不思議ではない。

日本の神道の基礎を築いたのは秦氏であり、
飛鳥時代にはハザール可汗国麾下のラダナイトは中国に交易拠点を持っており、日本に来たのは間違いない。

然し、当の始皇帝にはユダヤ教の要素は見られない。

それどころか、始皇帝自身が日本の神道の開祖か❓
と思えるくらい、東夷族伝統の東洋的、テングリ的な祭祀を重視していた。

始皇帝兵馬俑からは、始皇帝が全国を行幸した際の御車の隊列を模した銅馬車が発見されている。

これは、日本の山車のルーツである一本柱万度型露天屋臺のさらにルーツと言えそうだ。

始皇帝は天子(現人神)として御車に乗り、車列を組んで全国を御幸した。

日本の祭りの基本である神輿渡御は、
氏神を乗せた神輿に続き町々屋臺が連なり、氏子町内を巡幸する。

秦氏は日本の神社や祭禮の基礎を築いたが、神幸祭には始皇帝の行幸がイメージされているようだ。

ハザール可汗も、その御稜威を民に知らしめるために、煌びやかな馬車に乗って行幸したという。

可汗と従者は2キロメートルの距離を取らねばならず、可汗を直接見るとあまりの眩しさに失明するので、民は遠くから平伏して可汗の車列を拝むだけであったが。

行幸は、現人神たる天子(皇帝、可汗、天可汗、天王、天皇)の御稜威を遍く天下に行き渡らせるためであった。

始皇帝は中央集権体制を確立させるため、郡県制を敷いたが、県の下に郷を置き、さらにその下に里を置いた。

臣民が所属する最小単位の里ごとに、社【やしろ】が設置され、国家が定めた期日に祭祀を行うようにさせた。

漢代の記録に〇〇神社という記載があり、一村(里)一社の神社のルーツは始皇帝が作ったようだ。

古代中国の神社が、日本の⛩️神社と同じ建築様式であったわけではないようだが、
始皇帝が
国民の心を統治するために
行った、里単位で神社を置く制度は、
秦氏によって日本にも導入されたのだろう。

飛鳥時代~平安時代に秦氏が始皇帝の国家神道に倣って、様々な異教(マニ教や景教、ユダヤ教、ゾロアスター教、仏教など)の要素を取り入れて
日本人の心を支配するために神道を形作っていったのだろう。

秦は私祭を禁じ、神社は公的な祭祀のみを行わせたが、前漢では次第に有耶無耶になり、王莽が儒教による統治を打ち出し、後漢もこれに続いたため、中国は国家祭祀による支配ではなく礼制による支配が定着した。
国家祭祀は宮中のみで行われるようになった。

子孫である秦氏は、始皇帝の国家神道を日本人を統治する手段として復活させた。

日本もその後は民間信仰が台頭して祭祀による統治は次第に有耶無耶になったが、

明治維新の一村一社令、国家神道への回帰は始皇帝が目指した、国民の心まで支配する統治法が時代を超えて完成したと言えるだろう。

ネトウヨは何故か神道がユダヤ起源と聞くと喜ぶが、実は大嫌いな中国起源と知ったら発狂するだろう🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣

然し、神道の基礎を作ったのは秦氏であり、その原型が始皇帝の制度に由来するのは事実である。

能登半島地震で能登地方の山車行事が存続の危機‼何とかして継続してもらいたいものです。能登地方の山車の“屋台”部分(屋台に万燈や人形などの出し飾りを載せたものを山車と呼びます‼)に注目👀浜松型重層入母屋造にソックリですね(๑•̀ㅁ•́ฅ✧一層...
21/01/2024

能登半島地震で能登地方の山車行事が存続の危機‼

何とかして継続してもらいたいものです。

能登地方の山車の“屋台”部分(屋台に万燈や人形などの出し飾りを載せたものを山車と呼びます‼)に注目👀

浜松型重層入母屋造にソックリですね(๑•̀ㅁ•́ฅ✧

一層唐破風型もあるようですが、二俣型に似た唐破風です。

北陸には二俣のお囃子に似た祭囃子もあるようです。

国道152号(秋葉街道)~諏訪湖~白樺湖~糸魚川ヒスイロードを辿っていくと北陸です。

天竜川水運が盛んだった戦前には、今以上に遠州地方と北陸の交流があったと思われます。

北陸と遠州の中間にある諏訪が立川流彫刻の本拠地です。

何と!Σ( ̄□ ̄;)大谷宇佐八幡神社祭典と光明山古墳が、ヤマト王権と縄文思想の謎を解く‼️天磐船と光明山古墳~死と再生、縄文思想による前方後円噴の祭祀
11/02/2020

何と!Σ( ̄□ ̄;)

大谷宇佐八幡神社祭典と光明山古墳が、
ヤマト王権と縄文思想の謎を解く‼️

天磐船と光明山古墳~死と再生、縄文思想による前方後円噴の祭祀

国の史跡に指定される予定の光明山古墳(静岡県浜松市天竜区山東)( ・`ω・´)💡五世紀中頃と想定されている古墳ですが、噴丘の形がよく残っており、誉田御廟山古…

( ・`ω・´)💡日本伝統のまつりには、人々が分け隔てなく神と一体となる…和合の精神があります。ヤマト建国に尽力し、外国の史書にも名を刻まれた偉人たちは、のちに天照大神として祀り上げられていくことになります。象徴的な女神を祀ることで、民族の...
23/01/2020

( ・`ω・´)💡
日本伝統のまつりには、
人々が分け隔てなく神と一体となる…和合の精神があります。

ヤマト建国に尽力し、外国の史書にも名を刻まれた偉人たちは、のちに

天照大神として祀り上げられていくことになります。

象徴的な女神を祀ることで、民族の融和、融合をはかり、争いをなくしていく…

ほんらい、日本の祭りには、そうした深い意味合いがあります。

卑弥呼の系譜と国宝『海部氏系図』(勘注系図)から探る初期ヤマト王権の確立

( ・`ω・´)💡前回のブログでは、尾張氏家系を『先代旧事本紀』を中心に天皇家に向かって辿ってみました❗⬇️卑弥呼の正体~孝安天皇の系譜から明かされる邪馬台…

“文明は朝鮮半島を通じて、日本列島へ伝わった”が、絶対にあり得ないのは、『三國志』韓条を読めば、すぐわかる。魏の使者は、中国の帯方郡から、無法地帯の韓国を避けて、直接、倭人の地へ渡って来た。倭国の船に乗せられて。諸葛亮のライバルであった司馬...
07/01/2020

“文明は朝鮮半島を通じて、日本列島へ伝わった”
が、絶対にあり得ないのは、
『三國志』韓条を読めば、すぐわかる。

魏の使者は、中国の帯方郡から、無法地帯の韓国を避けて、直接、倭人の地へ渡って来た。
倭国の船に乗せられて。

諸葛亮のライバルであった司馬懿は、倭国に絶大な期待を寄せた。

三國志の時代から、中国と日本の国交は、韓国をスルーしていたのだ‼️

本当の日本を知りたい人、必見❗

日本書紀と三國志(二)司馬懿と東倭~中国の史書から見た倭人⑧

( ・`ω・´)💡引き続き、『日本書紀巻第九氣長足姬尊 神功皇后』より、倭人伝に関連する記事を見ていきましょう。⬇️前回ブログはこちら⬇️日本書紀と魏志倭人…

古事記に書かれた日本の神とまつりの原点https://ameblo.jp/starless43/entry-12563282256.html『古事記に書かれた真実①~神と祀りと文明の「前史」』
30/12/2019

古事記に書かれた
日本の
神と
まつり
の原点

https://ameblo.jp/starless43/entry-12563282256.html
『古事記に書かれた真実①~神と祀りと文明の「前史」』

古事記上卷 幷序「臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。」“臣安萬侶言す。それ、混元既に凝りて、気象未だ效(あらは)れず。名もなく為も無し。…

日本列島は海岸から山岳地帯が近く、山の民と海の民は争わず交流していました。縄文の海の民は、気軽に内陸部へも出掛けていったのでしょう。東海の民と東山の民が交流したのは、三河や遠州…豊川や二俣辺りだったでしょうか❓https://ameblo....
24/12/2019

日本列島は海岸から山岳地帯が近く、山の民と海の民は争わず交流していました。

縄文の海の民は、気軽に内陸部へも出掛けていったのでしょう。

東海の民と東山の民が交流したのは、三河や遠州…豊川や二俣辺りだったでしょうか❓

https://ameblo.jp/starless43/entry-12561817866.html
『縄文人とラピタ人、古代倭国の海洋交易ネットワーク~中国の史書から見た倭人④』

⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️(o´・∀・)o
天竜茶、春野の茶を育む産地、天竜川とその水脈に連なる山々…悠久の歴史❗

縄文の…、というより、天竜川~八ヶ岳~富士が、いかに自然環境豊かで農耕にも適し、過去から未来まで永続的に人が暮らす場所として適しているか?

それを、一人でも多くの人に知って頂きたいと思っています❗

https://ameblo.jp/starless43/entry-12529338312.html
東夷王は倭国王だった『漢書 王莽伝』~中国の史書から見た倭人①

https://ameblo.jp/starless43/entry-12530781620.html?frm=theme
『炎帝神農氏は日本人だった⁉️ 東夷に支配され続ける漢民族の歴史~中国の史書から見た倭人②』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12534911239.html?frm=theme
『ホツマツタエに書かれた「不都合な真実」~中国の史書から見た倭人③』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12561589486.html
『ヴィーナスの誕生①野尻湖のヴィーナスとホーレ・フェルスのヴィーナス』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12560512243.html
『ホツマ国とヒタカミ国~封印された縄文王朝』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12560113151.html
『最初の日本列島民は、北からやって来た』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12554490138.html
『天竜川八ヶ岳富士~世界文明発祥の地からサスティナブルな未来へ』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12548504378.html
『縄文土器が解き明かす富士八ヶ岳天竜川古代王朝』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12559143321.html
『縄文人は万世一系❓ 海を渡っていく古代人たち

https://ameblo.jp/starless43/entry-12557249208.html
『都市文明の憂鬱とサスティナブルな縄文文明』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12556264485.html
『4500年前、春野町熊切に古代国家が存在した⁉️』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12555636961.html
『日本列島の石器時代は氷期で唯一のパラダイス‼️』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12553045865.html
『武則(=すなわち)天『武照=天照』天武朝が封印した倭人の物語』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12546401943.html
『月のサラスバティー 封印された秘の本の巫女』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12547697474.html
『天竜川と鉄とスサノオ~封印された縄文製鉄神~根之堅洲国と黄泉之国』

https://ameblo.jp/starless43/entry-12528178194.html?frm=theme
『五万年の日本史①~Y染色体ハプロタイプD1a2』

ミシガン大学のプレイスは頭蓋骨の計測資料の比較から1991年に「縄文人コネクション仮説」を発表しています。環太平洋に広がった「海の民」は縄文人であるという考え…

4500年前、春野町熊切に古代国家が存在した⁉️祭りの原点は、遥か太古の昔からなのかもしれません…4500年前の春野町に多数の遺跡群o´・∀・)o熊切という地名は、ホムダワケ大王(応神天皇)が、ここで熊野大神(=スサノオ)を信奉する人達との...
12/12/2019

4500年前、春野町熊切に古代国家が存在した⁉️

祭りの原点は、遥か太古の昔からなのかもしれません…

4500年前の春野町に多数の遺跡群

o´・∀・)o
熊切という地名は、ホムダワケ大王(応神天皇)が、ここで熊野大神(=スサノオ)を信奉する人達との争いにキリをつけた、という意味かもしれないね…

天竜区春野町の縄文時代まず、平成元年に春野町史編纂の過程での調査において、後期旧石器末(BC14000頃)と推定される旧石器がモチクイド遺跡から発見されていま…

明らかなことは、天竜川八ヶ岳富士の三角地帯には、五万年前から連綿と続く膨大な遺跡群が確かに存在し、東からやって来た❓シュメールが立ち上げた(アヌンナキに教えてもらった❓)西の文明(メソポタミア・エジプト・インダス)炎帝神農氏から色々教えても...
08/12/2019

明らかなことは、
天竜川八ヶ岳富士の三角地帯には、
五万年前から連綿と続く膨大な遺跡群が確かに存在し、

東からやって来た❓シュメールが立ち上げた(アヌンナキに教えてもらった❓)西の文明(メソポタミア・エジプト・インダス)

炎帝神農氏から色々教えてもらった東の文明(長江・黄河・遼河)

の世界四大文明がある時から垂直に立ち上がっていくのに対し、

天竜川八ヶ岳富士には、ゆっくりと時間をかけて黎明期から徐々に立ち上がっていった文明の最古形があります。

それは、旧石器~縄文の古代倭人が、誰に教えられルでもなく、自分たちで創意工夫して時間をかけて育んでいった文明なのです。

天竜川八ヶ岳富士が世界文明の発祥の地であると考える理由がそこにあります。

そうした封印された歴史のアウトラインがはっきりしてくれば、

邪馬台国に対する見方も変わってきますし、

今後もまた、何万年と、
人類がサスティナブルな未来を創り出していくための、大きなヒントになりうるのです。

『春野町史』に示された縄文街道春野町の遺跡群を繋ぐと、遮光器土偶(BC500頃)が発見された川根本町上長尾遺跡、5万年前とも推定される川根ヌタブラ遺跡と、東側…

何気なく参加している地元神社のお祭り…その起源には、深い深い意味があった⁉️
22/11/2019

何気なく参加している地元神社のお祭り…

その起源には、深い深い意味があった⁉️

伊砂(いすか)百古里(すがり)砂川(いさがわ)何れも天竜区にある難読地名。かつて、伊砂は伊須賀百古里は須賀里と書いた。須賀はスサノオノミコト(須佐之男命、素戔…

山の価値が見直される時代がやって来る❗
14/11/2019

山の価値が見直される時代がやって来る❗

新しい日本の夜明‼️『日本の子供たちに教えたいこと』logical thinking(論理的思考)、critical thinking(批判的思考)日本人は、…

神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ神と人との和のハタラキこそ神喜ぶのぞ『日月神示』「富士の巻」第八帖【山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ雨も神ぞ風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ神祀れと申すのは神にまつらう事と申してあろうが神々まつり合わす事ぞ...
14/10/2019

神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ
神と人との和のハタラキこそ神喜ぶのぞ

『日月神示』
「富士の巻」第八帖

【山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ雨も神ぞ
風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ
神祀れと申すのは神にまつらう事と申してあろうが
神々まつり合わす事ぞ

皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ
皆まつれば何も足らん事ないぞ、余る事ないぞ
これが神国の姿ぞ

物足らぬ物足らぬと臣民泣いているが足らぬのでないぞ
足らぬと思っているが、余っているのではないか

上(かみ)の役人殿、まず神祀れ
神祀って神心となって神の政治せよ
戦などは何でもなく鳧(けり)がつくぞ】

 ❮解説❯

『日月神事』『うえつふみ』『ホツマツタエ』などの書は、一般的には「偽書」であるとか、怪しげな新興宗教の「教典」だとか、浮わついたスピリチュアルに利用されているとか、とかく良いイメージはありません。
 原文があまり出回らず、極端な解釈や、荒唐無稽奇想天外ビツクリテンギョウ!Σ( ̄□ ̄;)な〖偏った解釈〗ばかりがSNS上に蔓延し、オカルト的な先入観をお持ちの方も多いでしょう。

 然し、それぞれ原文をよく読んでみれば、失なわれつつある〖日本の伝統〗や〖日本人の心〗が記されていることがわかります。

 私は〖日本のまつり〗について、関東や地元遠州地方を中心に、数十万の人出で賑わう有名なまつりから、それこそ見物客が私一人しかいないような小さくマイナーなまつりまで、この足で出向きこの目で耳で体感してきました。また、日本の祭禮に関する資料も広範に調べてきました。

 古来の日本のまつりの原点は、村人が山奥の磐座など神のヨリシロに集まり、神をおろし、神と共に酒色を倶にし、神と共に一夜を明かす〖御夜籠り〗であったと云われています。

 そして近世になると各地で〖屋台行事〗が行われるようになり、氏子各町が屋台を連ね宮神輿に続いて氏地を隈無く一周し御旅所に至る〖屋台随行神輿渡御〗が日本の祭禮の基本となりました。

 神楽や田楽などの奉納は選ばれた者が行うのに対し、御夜籠りや屋台曳き廻しは、村人全員が参加して行うものです。祭りの本質は氏子一人一人が〖神と一体になる〗ことであり、皆で力を合わせ心を合わせ、日頃のわだかまりも忘れ、一人一人が神と向き合ってエネルギーを共有するところにあります。

 神主が祝詞をあげたり、選ばれし者が舞を奉ることで、神は今か今かと氏子一人一人とエネルギーを共有し〖まつり合わせる〗瞬間をお待ちになるのです。

 近年は人手不足もあり、神事や簡単な奉納で祭りを済ませるケースもやむを得ないところではありますが、氏子も、またそうでない人も皆、心を合わせ心を開きエネルギーを爆発させてまつり合った姿こそが神の姿であり、神の心であり、その集合意識こそが神のエネルギーであることは、忘れてはならないものです。

「富士の巻」第二十二帖 

【まつりまつりと、くどく申して知らせてあるが
まつり合わせさえすれば
何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組みで悪も善も無いのぞ

何事も真通理(まつり)が第一ぞ

まつれば悪も善ぞ、まつらねば善も無いのぞ
この道理分かったか

祭典(まつり)と申して神ばかり拝んでいる様では何も分からんぞ
そんな我よしでは神の臣民とは申せんぞ
早くまつって呉れと申す事よく聞き分けて呉れよ

我(われ)が我がと思っているのは調和(まつり)ていない証拠ぞ
鼻高となればポキンと折れると
申してある道理よく分かろうがな

この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になるのぞと申すのは
慢心と取り違いは調和の邪魔になるからぞ
ここまで言葉を分けて申せばよく分かるであろう】

 ❮解説❯

 まつりの本質をよく理解していれば、神官がふんぞり返り、いかにも仰々しく威張っていることなどあり得ません。
 神事を行い拝んでおきさえすればよいのだ、というものでもありません。

 明治時代の二俣町祭典年番記録では、町々屋台が宮入し、神前に揃う前に神事を開始した新米の神主が宮本諏訪連の責任者に叱責されるというエピソードが載っています。

 江戸時代には、既に神輿渡御と屋台曳き廻しが切り離され、本来まつりのクライマックスであるべき屋台曳き廻しが〖つけまつり〗〖風流物〗、余興へと変遷し、まつりの本質が次第に失なわれていった様子が、各地の記録に見られますが、二俣ではまだ明治時代にはまつり本来の姿を知る人が多かったようです。

 神輿の御幸に先駆または随行する間は、厳粛かつ荘厳な囃子を奏で、宮に入った瞬間に神を祭り人を鼓舞するように勇壮な〖馬鹿囃子〗に切り替え、渾身のエネルギーを爆発させて神前に屋台を曳き入れる…まさに神が喜び、エネルギーを高め合う日本のまつりの本来の姿が遠州地方に残されています。

 こうした祭典の本質を理解することで、我欲を戒め人々の心を調和し、エネルギーを神と一人一人が高め合うまつりの本来あるべき姿を神は待ち望んでいます。

 慢心と、行き違いや事の本質のはき違えが、日本の本来あるべき〖和〗のバランスを乱しています。

「富士の巻」第一帖

【道はいくらもあるなれど
どの道通っても良いと申すのは悪のやり方ぞ
元の道は一つぞ

初めから元の世の道
変わらぬ道があれば良いと申しているが
どんなことしても我われさえ立てば良い様に申しているが
それが悪の深き腹の一厘ぞ

元の道は初めの道、神のなれる道
神のなかの 「・」 なる初め

「・」 は光の真中「神道・神の道」は四の道
この事気のつく臣民無いなれど「一が二」わかる奥の道
身魂掃除すればこの事分かるのぞ
身魂磨き第一ぞ】

「下つ巻」第一帖

【富士は晴れたり日本晴れ
青垣山めぐれる下つ岩根に祀って呉れた御苦労ぞ
愈々いよいよ神も嬉しいぞ

鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ
海の水ある、それが鳥居ぞ
皆の者御苦労ぞ
邪ヶ岳は昔から神が隠しておった
大切の山だから、人の登らぬ様にして
龍神となって護って呉れた神々様にも御礼申すぞ

富士は晴れたり日本晴れ
愈々次の仕組みにかかるから早く次の御用聞いて呉れよ
神は急(せ)けるぞ

山晴れ、地くに晴れ、海晴れて始めて天晴れるぞ
天晴れて神の働き愈々烈しくなったら
臣民愈々(いよいよ)分からなくなるから
早く神心になって居って下されよ
次々に書かせておくからよく心に留めておいて下されよ

この道は宗教では無いぞ、教会では無いぞ
道だから、今までの様な教会作らせんぞ
道とは臣民に神が満ちる事ぞ
神の国の中に神が満ち満つる事ぞ
金儲けさせんぞ、慾捨てて下されよ】

「下つ巻」第三十一帖

【この神に供えられた物は何によらず私有する事ならんぞ
参った臣民にそれぞれ分けて喜ばせて呉れよ
臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光って来るぞ
天地光れば富士晴れるぞ
富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ
この様な仕組みでこの道を広めて呉れよ
それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(まつり)ぞ、分かったか】

 ❮解説❯

〖道〗〖まつり〗は、東洋の思想の重要な概念になります。

 その概念は、既に縄文時代にはある程度の形になっていたものと思われます。

 そうした縄文の思想は、上代中国にも強い影響を与えました。

 中国では既に、周代の終わりからそうした上古の理想的な〖まつり〗祭祀、政治の本質が失なわれていき、春秋の思想家は警鐘を鳴らしています。

 本来、人があるべき〖道〗を説いた理性による思想は、形式ばった教条主義に変えられていきます。

 漢代以降、儒教は形式的なものになり、道教は呪術的な宗教に変容していきました。

 仏教やキリスト教も、本来ブッダやイエスが説いた教えから大きく外れていきます。

 ザビエルが日本に来たとき、この東の果ての国にこそ〖本来の神の教え〗が、一般大衆の間にも深く浸透していることに愕然としました。

 当時、神仏習合していたため、ザビエルは〖シアカ〗の教えとしてヨーロッパに伝え、神学者は「これこそイエスが言わんとした究極の思想である」と結論づけ、〖黄金の国ZIPANG〗東方heavenに重ね合わせていきます。

 ヨーロッパでは、この思想を正しく理解して平和な社会を目指そうという人もいれば、天皇の権威を利用して権力を得ようという人達がいます。
 そうした争いの真っ只中に〖狙われている〗私たちの〖日本〗という国があります。

 その、究極の理想的な思想が広く日本の民衆に根付いている理由は、もちろん釈迦〖シアカ〗の教えが仏教と共に伝わったからではありません。もちろん景教も関係ありませんし、ユダヤ人が戻って来たからでもありません。

 私たち日本人は、その〖道〗を〖まつり〗を通じて縄文時代から知っていたのです。

 竹内文書などに書かれる、釈迦やイエスがその思想を学びに日本へ来たというのも、あながち荒唐無稽な話ではありません。
 縄文時代から6世紀までの倭人が、地中海への海洋交易ルートを利用していたことは、明らかになりつつあります。

 日月神示が言う「鳥居なんか要らないよ」というのは、江戸時代まで辛うじて〖道〗と〖まつり〗の本質を共有してきた日本人が、明治以降、西の文化に影響され形式を重んじ本質を見失いつつあることへの警鐘でもあります。

 21世紀において、日本人がいよいよ〖道〗を見失い、〖まつり〗を疎かにするようになってきました。

『日月神示』『うわつふみ』『ホツマツタエ』は、決して怪しげな宗教書でも荒唐無稽なファンタジーでもなく、原文に書かれているのは、素朴な日本人の暮らしであり、心の有り様です。

『日月神示』は、宗教や私欲を満たすために利用してはならないと繰り返し説いています。

 争うためでなく、〖和〗のために。

 わかり合い、力を合わせて生きていくために。

 いつも言っていますが、長々と文章で書いても伝わりにくいと思いますので、心ある人は直接話を聞きに来てくださいね❗

 情報は、直接コンタクトすることで伝わりやすくなります。SNSのやり取りは、行き違い、誤解を招きやすいのです。

 待っていますよ~( `・ω・´)ノ ィヨロシクー

住所

静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1070
Hamamatsu-shi, Shizuoka
431ー3314

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